名島運動公園管理事務所
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4世紀ごろ神功皇后は名島海岸より、三韓への遠征の折にこの地より宗像三女神を拝し、 遠征の無事を祈られました。
その結果、新羅を討ち、百済、高句麗を帰服させ無事に帰還できたことから、祈願成就のお礼として宗像三女を奉ったそうです。
その後、名島神社は武闘は神功皇后に纏わる由緒ある神社として、古来より、時の権力者が数多く参詣されています。
名島城は元々立花鑑載が天文年間に立花城の出城として築いた城だそうです。
その後、天正15年、九州平定を終えた豊臣秀吉が小早川隆景に筑前、筑後、肥前の土地を与え、この小早川隆景が名島の地に水軍を活かせる海上を築きました。 豊臣秀吉も名島城築城に積極的に関わったと筑前国続風土記に記されています。
しかし、慶長5年の関ヶ原の戦いで徳川家が勝利を治め、名島城は黒田長政に与えられたのでした。
それからというもの、城下の地域が狭いことを嫌った長政は名島城のすべての資材を運び出し、福岡城を築きました。名島城は慶長7年、ついに廃城となってしまいました。
小早川隆景公入府400年を 記念して、三原市郷士史研究会・三原市郷土を愛する会より移植寄贈された、足利学校ゆかりの不断梅です。
常に実が絶えないことから『不断梅』と言われているそうです。
名島神社に隣接する弁財天を奉る名島弁財天社。
およそ400年の歴史を持つといわれているこの弁財天社は名島城が築城されたころにできたと想定されます。
名島が誇るこの帆柱石は、昭和9年5月に国の天然記念物に指定された樫属の桂化木です。
桂化木とは、土中に埋もれた樹木に桂酸がしみ込んで、木の組織と入れ替わり化石となったものです。
その昔、神功皇后三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったという言い伝えもあるようです。
帆柱石のお話で触れた「神功皇后」ですが、日本書紀によれば、聡明にして美貌であり、不思議な霊感を持ち神託を告げる才能の持ち主だったとか。
この神功皇后が朝鮮半島から帰朝した際、ご懐妊なさっていたそうです。
そして、この石の上に腰を下ろし休まれた後、元気な子を産んだそうです。このことから、緑石に寄り添い祈ると安産になり、また縁遠き子女が祈れば良縁に巡り合う…と
云われるようになったそうです。
昭和6年(1931年9月)、空の英雄で知られるリンドバーグが、世界一周の途中で立ち寄った「名島飛行場」の跡地。
現在は住宅街となっており、当時の名残は全く見受けらないのが残念です。